ご報告

 

いつも私の音楽活動を見守っていただきありがとうございます。

今年は、秋のコンサートはお休みさせていただいております。

5月から闘病中であった母が9月5日に亡くなりました。5月の段階でどのような秋になるかわかりませんでしたので、音楽活動をお休みすることにいたしました。

以下、喪主である私の葬儀時のご挨拶です。

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生きることに積極的な母は、数年前までは「90歳まで生きる」と言っていました。最近では、「90はもうすぐだから、100歳まで生きる!」と頑張っていました。1929年9月16日に生まれましたので、あと11日で90歳という日の旅立ちでした。少し残念です。

小さい頃からおてんばで、6人制バレーボールの選手をつとめ、女学校を出てから体育大学へ行きたかったと言っていました。ところが、20歳の時、肺結核で片肺と肋骨11本を取り、私を産み育てることになりました。夫である私の父が癌に罹り、長い闘病生活ののち41歳で亡くなった時、母はまだ35歳でした。それから一人娘である私と二人三脚の日々が始まりましたが、いつも明るくて、マイナス思考ゼロの毎日であったように思います。

そして、あれこれ迷い、消極的だった私の背中を押してくれたのはいつも母でした。直観力、決断力、負けない心で生き抜いてきたひとでした。

晩年は高血圧、糖尿病の持病に慢性腎不全が加わり、さらに両足の大腿骨骨折、網膜剥離、そして今回は胃癌に罹り、満身創痍の体でしたが、いつも前向きでした。我慢強くて頑張り屋、淋しがり屋の甘ったれ、賑やかなことが大好きでした。

私のコンサートのフアンであったことは言うまでも無く、茨木のり子さんの詩「わたしが一番きれいだったとき」に戦時中の自分の青春に心を重ね涙しておりました。曾孫にも恵まれ幸せな日々に感謝していた母でした。

これも皆さま方のご厚情とご支援があってこそ、そのような人生が送れたのだと感謝いたします。本日のご会葬誠に有難うございました。

略儀ながら本状をもってお礼にかえさせていただきます。

 

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今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

数日前に、毎年行っている「クリスマスチャリテーコンサート」を12月2日に開催することにいたしました。

準備期間が短くはありますが精いっぱい行いたいと思います。

 

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